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明石歩道橋事故 署長 名前 [社会]

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「明石歩道橋事故 署長 名前」について

今日(2月20日)、2001年7月21日に発生した群集事故、
明石花火大会歩道橋事故(あかしはなびたいかいほどうきょうじこ)の
責任の所在について争われていた、榊和晄前副署長の判決がありました。

【元副署長の刑事責任問わず免訴 明石歩道橋事故】


この事件は、2001年7月20日から明石市大蔵海岸で
第32回明石市民夏まつり花火大会が行われた際に、
日程2日目となる21日の午後8時半頃、朝霧駅南側の歩道橋で、
駅からくる見物客と会場方面からくる見物客とが合流し、
異常な混雑となり「群衆雪崩」が発生し起こった事故です。

死傷者258人の大惨事となる悲惨なもので、
当日の兵庫県警察の警備体制の不備、事故後の対応が問題となり、
マスコミにも大々的に報じられました。

当時の裁判では警察官ら5人が起訴されましたが、
最高責任者の明石署の署長、「永田裕前署長」「榊和晄前副署長」
不起訴処分になりました。

それについて、神戸地検が事故当日警備をしていた
兵庫県警察トップの永田裕前署長の責任を問わなかったことに疑問を抱き、
遺族らが不起訴不当を申し立て、神戸検察審査会が「起訴相当」と議決したので、
捜査が続けられましたが、神戸地検は「事故の予測は困難だった」と、
2009年までに副署長を4度不起訴になりました。
(※この4度不起訴になるまでの間の2007年に永田裕前署長は亡くなられています)

永田裕前署長が亡くなった後も、業務上過失致死傷罪で強制起訴された
榊和晄前副署長への裁判は続いていましたが、今日の判決で奥田哲也裁判長は
「強制起訴の時点で公訴時効が成立している」とし、
有罪か無罪か判断せず裁判を打ち切る「免訴」を言い渡しました。
それにより、副署長の過失はなかったとし、実質的な無罪判決となりました。

強制起訴前後は、黒々としていた髪が初公判の時点で白髪となるなど、
心労をうかがわせていた榊和晄前副署長ですが、これで1つ区切りとなるので、
判決後はほっとした様子だったということですが、
「道義的責任を忘れてはいない」、
「悲惨な事故を防止できなかったことは非常に残念で申し訳ないという気持ちに変わりはない。
改めて亡くなった11人のご冥福をお祈り申し上げる」と
コメントしているので、事故の遺族のためにも、2度と同じことが起きないよう
努力していって欲しいものです。


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